スタッフリレーエッセイ
No.19 渡辺 晶子(わたなべ・まさこ)■最終回■

前回のリレーエッセイで「Dプロは過激派だよと言った渡辺さんが・・・」と書かれちゃいましたが、福光さん、6年位前私がDプロの行事に参加し始めた頃にもそう言っていましたよね(苦笑)

自分でも覚えていないことを初対面の人に言われビックリしたものです。多分12年位前にそう言ったのかも知れません。古い記憶を思い出してみたいと思います。

当時、親しくしていた同級生が会うとDプロのことを熱心に語っていました。13年前、御茶ノ水で開かれたオータムスクールも彼女に誘われて参加しました。これもすっかり忘れていました。当時のスタッフさん、スミマセン(^^;)

御茶ノ水オータムスクールに参加しても【日本手話】【ろう文化】という言葉は私の中を素通り。相変わらず聴者に合わせるのが上手で全然変わらない私にシビレを切らしたのか、彼女はこう言いました。「シムコムを話すろう者は“ろう者”じゃない!」(アメリカ手話を勉強中の彼女はよく「シムコム」という言葉を使っていました。)

今思えば彼女はもう少し違った言い方をしたのかも知れませんが、無知な私はそう読み取ってしまいました。

当時は“日本手話”という言葉を知らず、「Dプロはろう者を【6の手話を縦向きにしてクルクル回す(=日本手話のこと)】と【シムコム】で分けている(?)」

自分はその【シムコム】を話す分類に入り、“手話が下手な聴こえない人”と烙印を押されたような気持ちになり、傷つき、その時に「そんなふうに分けるDプロのやり方は行き過ぎ、過激派の集まりだわ」と言ったような気がします。(実際、自分の手話は今もシムコムの名残があるなと自分でも思います。(^^;))

その後、初めて地元の手話講習会の講師を任されました。講習の様子を見に来た経験豊富な、聴障会会員に、みんなの前でボロクソに言われたのです。

「全然講習になっていない、語源も説明できないようでは講師失格だ」と。

悔しさもあり、県ろう協主催の手話講習会講師養成コースに参加したものの、修了が間近になっても、何か物足りなさを感じていました。都内に住む同級生数人に「“ろう的手話”の教え方を教えてくれるところってないのかな?」と訊きまくってワールドパイオニアの手話教授法講座を知りました。

取り寄せた募集要項を見てビックリ! 講師は木村晴美さんと小薗江聡さんと書いてあったからです。

木村晴美さんて、あの手話ニュースキャスターの木村晴美さん?

小薗江聡さんは、学校は違っていましたがスポーツ万能で有名でした。その小薗江さんがなんでここに?! とひどく驚いたのを今でも覚えています。

手話教授法講座の2、3回目頃までは日本手話の文法を教わるのですが、木村晴美さんがロールシフトという用語の説明をしてくれました。

『あっこれはごく普通のろう者同士の会話でよく見られる手話! 聴者の手話に見られない』

初めて日本語対応手話と日本手話は違うのだと、言語として認識出来たのです。大きな衝撃でした!何故自分は日本手話は日本語対応手話に劣ると思い込んできたのかと。これがキッカケで関連のセミナーや研究大会等に参加するようになり、ショックの連続でした。
順に書いてみたいと思います。

・武居渡氏の講演

彼がろう学校の武居先生(聾者)の息子だということを知り、講演前に同級生の友人と、話し掛けた時に、聴者の武居さんに私は「講演中はもちろん声と手話を一緒にやりますよね?」と馬鹿なことを訊いてしまったのです。武居さんは「僕は音声と手話を一緒にやると頭の中が混乱してしまう。」と言いました。

声付き手話を難なく話す手話通訳者・学習者を沢山見てきた私にはショック!

・榧陽子 氏の講演

「誰もが知らなかったバイリンガル教育」という内容でした。

バイリンガル教育について知ることが出来、その帰り道、私たち成人ろう者が受けた『ろう教育』について思い出しました。私たちが受けたろう教育は劣悪なものだったということ、ろう学校の授業にもならなかった“授業”のことを・・・。

自分の言いたいことを、自由に適切に表現できる言葉(日本手話)を否定され続けてきた私たちろう者は、日本手話が言語とは思っていない、自分の“ろう”の誇りが持てずにいる。

私たち成人ろう者が【高度なあきらめ】を身につけてしまったのは“その劣悪な教育”を数年間も受けたためだと気づき、悔しくて涙がポロポロ出ました。

・ろう者塾、野呂一 氏の講演「ろう学校の歴史」

野呂さんの言葉がとても印象に残りました。

「多くのろう者を苦しめている聴覚口話法に変えた人たちも、ろう児の将来を思ってやったのだ」

最初はなんでそういうことを言うんだろうと疑問に思いましたが、確かに聴者同化教育は、聴者が圧倒的に多い社会の中でやっていけるようにと考えられたもの。

野呂さんは『ただ単に聴覚口話法を推し進めた人たちを非難するだけに留まらず、何が悪いのか深く考えていかなきゃいけない』と言っているように見えました(聞こえました)

Dプロ行事に参加し始めたころ、初めて国立身体障害者リハビリテーション手話通訳学科卒の手話通訳者と話をしたのですが、日本手話の語彙がポンポン出てくるのにすごく驚いたのを今でも覚えています。それだけでなく手話が出来る聴者と話していて、まともに話が出来たという実感が得られたのは彼女が初めてでした。

彼女から送られたFAXの文章

「ろう者が自分達の話し言葉(日本手話)を、肯定的に教えられるようになってくれたら嬉しい」

数日間は「自分達の話し言葉」や「肯定的に」という言葉が頭の中をぐるぐる。

日本手話を言語として認識し、日本語対応手話がキレイで日本手話がデタラメと思い込んでいるろう者が多いという現実を知っている通訳者がいる!

それまでの私は地元の通訳者と話していても、訳が分からない悲しみやもどかしさを常に感じていました。

それは、聴者の情報は伝えてくれても、私たちのことをきちんと伝えてくれていないような…。でも、Dプロで会った、この通訳者は違いました。私たちろう者の生活、価値観、受けてきた“ろう教育”等を充分理解してくれている。だから私たちのこともきちんと伝えてくれる、そんな安心感がありました。こんな通訳者が地元にも沢山増えてくれると嬉しいな。

色々書いちゃいましたが、ろう者のメッセージやろう社会の情報を発信しているDプロに出会えて、初めて自分を取り巻く環境が見えてきて、気持ちのモヤモヤが消えていきました。

昔の私のようにDプロを過激派(?)と思っている方もぜひ一度Dプロ行事に参加してみてくださいね。(渡辺晶子)

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