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千々岩さんからバトンを渡された宮腰です。
千々岩さんに渡された時は、どうエッセイを書けばよいのかと本当に悩みました。_| ̄|○
テーマは何でもよいということでしたが、
今までのエッセイを読むと「どうやってDプロと関わったか?」という内容が多かったので私もそうすることにします。
え〜っと私は・・・もう10年前の話なので記憶があやふやです。
勘違いしているところもあると思います。
その場合は勘弁をお願いします。<(_ > _)>
多分だが、1995年ごろにトライアスロンで有名な高島さんから誘われて手話指導教授方法講座を受けました。
その時に、Dプロの存在を知ったと記憶しています。
その後、野呂一さんから聾歴史チームに入らないかと誘いがありました。
野呂さんとは同級生ということもあり、私が歴史好きであることを知っていたので誘われたと思います。
その頃の聾歴史チームは色々な発見や仲間の付き合いがあって大いに刺激を受けました。
特に忘れられないのは、野呂さんとKさんと一緒に都立中央図書館で聾に関する資料を探したことです。
江戸時代に聾者が寺小屋へ通っていて、その勉強方法も記述されている資料を発見しました。
その資料を見つけた時は本当に興奮しましたね。
なぜなら、今までの江戸時代の聾者の扱い方のイメージは聾の子供を生んだら殺されたり捨てていたという。
それなのに、聾者でもちゃんとした教育を受けていたということがあったということを知ったのですから・・・
しかし事情により聾歴史チームが解散した為、映像部へ転向することになりました。
映像部は千々岩さんのエッセイにも書いてあるように、セミナーやイベントのビデオ記録や編集をする仕事です。
つまり裏の仕事と思って下さい。
今のところは、こういう仕事ですがいつかは映画を作りたいですねえ。
そうするには小薗江会長にゴマをすって資金をもらわないとなあ・・・汗
次のバトンは、私と同じ映像部の佐藤譲二君に渡したいと思います。 NEXT(次へ)
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