| 弁慶こと川島さんからバトンを受け取りました。
実は、川島さんファミリーは私の実家(山口)に遊びに来たことがあります。
あの時は、夏の真っ盛りで、4人のかわいい子ども達と一緒にやってきました。奥さんもです。
私の両親が川島さんのことをすごく褒めていたのが印象に残っています。
というのも、4人の子ども達みんなが私の両親に「おやすみなさい」と手話でそれぞれきちんと挨拶をしていったからです。
特に、一番下の女の子は、当時、3歳くらいだったと思いますが、私の父の姿を捜し求めて家の中を走りまわり、かわいい小さな手で挨拶してくれたので、父は大変に感激したそうです。
手話で挨拶してくれる小さな子がまわりにいなかったということもあるでしょうが、ほんとうに感動していたみたいです。
今でも、川島さんのことが話題になると、そのときの女の子がセットになって話に出てきます。
さて、私は、1995年に出した「ろう文化宣言」のイメージから脱することができずにいるようです。「怖い」「過激」…ひどいのになると「凶暴」?(笑)。
さらにNHKの手話ニュース画面から、私は「でかい」「大きい」と思われているようです。だから、初対面の方から「あれ…イメージが…小さくてビックリ!」とよく言われています。
現在の私があるのは…やはり、リハ(国立身体障害者リハビリテーションセンター)に入ったからでしょうか。リハに入っていなければ、おそらく、ろう協会という組織でバリバリに活動していたのではないか、と思うことがあります。
そもそも私はリハに入るつもりはありませんでした。
当時、私は特別区公務員(世田谷区)をしていて、地道に堅実にやっていこうと思っていました。
私って意外に保守的なところがあるのです。
「手話で食う」なんて想像もできなかったし、手話を教える、通訳を養成するのに必要なスキルを身につけていなかったからです。
でも、誰かが私のことを推薦したらしく(誰かかというのは、後になって、リハに推薦したのはこのオレだよ、という殿方が数人も現れたので…)、また、先に教官になっていた鳥越さんのおめがねにかなったのか、私の知らないうちに話がまとまって、いつのまにかリハの教官になってしまいました。
リハに着任してみると、私と同じ新人に市田さんがいました。鳥越さんからは「ろう者はコミュニケーション障害者ではなくて、文化的に言語的に聴者とは違う人間だという考え方もあるのだよ」とか「対応手話でなくろう者の言語である日本手話を教えてみたら?」等といわれるし、市田さんは市田さんで、私が一生懸命に日本語に翻訳したのを「手話の構造そのままだよ。翻訳になっていないな〜」とけなすし、もう目が点…の連続でした。
市田さんは同じリハとはいえ、当時は生活訓練課という部門にいました。
昼休みになると必ず学院に来て、弁当を食べながら手話の文法の話からろう者の言語権の話までいろいろと議論を交わし、それがミニコミ紙「D」への発行となり、そして「ろう文化宣言」とつながるのですから、人生、おもしろいものですね。
コーダとの出会いも私の人生を変えてくれました。
一人は半澤さんでもう一人は宮澤さんです。ふたりとも宮城の人です。
対応手話でなく、日本手話で通訳できる人に初めて遭遇したときの衝撃はいまでも忘れられません。
1991年、東京で開催された世界ろう者会議でただひとり日本手話で通訳していた人が半澤さんでした。
いまは亡きルー・ファントさんは半澤さんの実力を見抜き、RID(全米登録手話通訳者協会)のバッジを彼女に贈ったそうです。
宮澤さんの場合はろう者の日本手話を無駄のない洗練された日本語で通訳しているのを聞いて(ウソ、文字起しされたのを読んで)、市田さんが私の翻訳をけなしたのも道理…と納得したのでした。
この2人のコーダとの出会いがあったからこそ、ろう者にとって理想的な手話通訳像というのを私なりに見い出せたのかもしれません。
ちなみに、宮澤さんには今年の4月からリハの教官になってもらっています。
手話通訳養成機関としてさらにパワーアップしている!と思っています。
と、自分についての話はこのくらいにして、バトンを渡したい相手、野呂一さんについて少し。
野呂さんとの出会いは、関東聴覚障害学生懇談会(関東聴懇)・関東学生手話サークル連絡協議会(関サ連)合同による一年生交流会という企画に参加したときに、です。
私が出席した分科会の進行役が野呂さんでした。
その日の夜の飲み会では、インテ出身の、対応手話もあまりできない聴覚障害学生がたくさんいましたが、野呂さんは私と同じ世界の住人であることが直感的にわかりました。
それも道理、野呂さんは高等部までをろう学校で過ごし、その後、大学に進学していたのです。
同じ対応手話を使っていても、野呂さんの対応手話は日本手話臭かったです。
そう、野呂さんとは私が19歳のときに出会っていますから、もう20年以上の古いお付き合いです。
勉強嫌いの私が大学院に行く羽目になったのは、野呂さんのせいです。
でも、野呂さんのおかげで、大学院という新しい世界に足を踏み入れたのですから、彼が憎たらしいけれども、彼に感謝しなければなりませんね…。
というわけで、私から野呂さんにバトンを渡したいと思います。
野呂さん、よろしくお願いします。 NEXT(次へ)
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