スタッフリレーエッセイ
No.4 川島 清(かわしま・きよし)
 前回(No.3)で棚田 茂(たなだ・しげる)が書いたエッセイの最後に、第2回ろう教育を考える全国討論集会(埼玉)で、ろう教育について「ろう児には手話による教育が必要である」と、レポート報告したとき、これに対して反発した男がいました。
「ろう児には日本語対応手話が必要であり、ろう者の手話では教育できない」と言っていた川島清さん。

って・・・。改めて、ショック・・と言うか・・そう読み取っていたのかな?
(あら、棚田さん、今もそう思い続いてきたのかな・・・)
このエッセイを読み、その当時のことを、思い出したのでした。
その当時、日本語対応手話と、日本手話についてあまり意識してなかった。
こだわっていなかったように記憶しています。
が、このときを境に、意識するようになったのでした。
このときのことを思い返してみて、改めて、その時の資料を探してみた。
D編集という出版物があった。

実は、このボクの意見を述べてたときに、たまたまある聴者がいて、このときのベテラン通訳者がボクの通訳をしていたのだが、あまりにも誤訳だらけで、この無名の聴者が誤訳の点を(読み取った内容を)メモしてくださり、それを見せられたとき、日本語(対応)手話と日本手話(ろう者的手話)の違い見せ付けられたのでした。ことを目覚ましただったと思います。
聴者からのメモの一部を取り上げ、紹介したいと思います。

(手話・直訳)
東京から来ました川島です。
このろう教育を考える集会には数年前から参加して来ましたが、この分科会は、ろう学校への手話の導入ですが、この話は以前から何度も繰り返されて来ました。
また、子供たちをどのように教え、育てていくのか、と言うことにたくさんのさまざまな議論を見てきました。
私は今回、ビデオを見て、口話教育か、手話教育か、どちらがいいのかという論争から〔変わって〕、手話を導入することについては認めつつあるという状況に変わってきたにもかかわらず、今もなお、口話、手話、またあらゆる手段を使って「教えよう、教えよう」としている、以前とは変わってきたとはいうものの、私から見れば何にも変わっていないように見えます。
教えるということ、(訂正)大人が子供に「教え込む」というのでなくて、子供はどのようにことばを獲得するのか、それに対してどのように援助をすべきなのか、ということを私は考えています。
この日本語があるから、それを教える、というのでなく、子供同士の会話や、また、子供たちが周囲の環境から影響をどのように受けながら育って行くのか、ということなのですが、それが先生から見えていない、理解できていないのです。
〜以下の略〜

と言いましたが、読み取り通訳がとても読み取れないと知った。

誤訳例 〔手話による発言の趣旨〕

「手話口話の論争から導入に変わった」
×「手話口話の論争へ変わった」

「変わったが、今なお、色々使って教えようとしている」
×「変わって、色々駆使して教えている」

「(当時)私は自分の手話は正しくないと思っていた」
×「私の手話は正しくないと思うが」

「手話通訳や手話サークルの手話が手話なのだと思わされた。本当はそうではなかった」
×「手話通訳がいて、サークルがあって、これが手話なのだと実感できた。でも意外と違って」

「先生たちに受け入れてほしい」
×「ろう者としては受けたい」

「変わってきたが、先生方は手話を知らない人が多い」
×「変わってきた。以前は先生方は手話知らなかった」

「手話があっても、それにあたる日本語がない」
×「(手話の)専門用語がない」

いったい、ボクの言いたかったことはどのように伝わったのでしょう。

そして、D編集に投稿しました。〈No.13〉
《投稿》
私が日本手話の素晴らしさを再認識するまで『D』やDプロに出会うまで、
私は日本手話に特別なこだわりは持っていなかった。
日本手話の講演にも、半信半疑・・・・
少しでもお互いの世界を行き来できれば・・・・
読み取り通訳の記録に唖然・・・・
思いが多くの人に届くためには・・・・
このときの思いを、素直に書きました。
(D編集を読んでいただけたら、面白いに違いないと思います。H男、D女が書いていたものです)

ろう者だ!日本手話だ!立ち上がろう!というDプロ。
クーデターのようでイメージ的に過激派?のような感覚を持ってました。
日本手話を前面にだす木村晴美さんに出会って、聴者に頼らず、聴者を介せず、
手話指導をし、その教授法を目にしました。また、ろう者手話で日常的に話す手話、言語であるということを紹介くださったとき、自分の手話の中に言語としての細かい文法などありえないと思っていたのが手話文法がきちんと構成されており、日本語と同等の言語であることを教えていただき、自分に驚いた瞬間だったのでした。
(ろう者学の傘下の一つとして翻訳チームにいたときでした。小薗江君もずっと一緒。現在は解散しており、ないのですが)
木村晴美さん=Dプロ=過激?とイメージをもっていたのですが、実際に会って、小柄なとても穏やかな、とても話しやすい、イメージとは程遠い人だったのでした。いくつかその当時のことを思い出すなあ。
はい、これまで。おう♪
と、いうことで、木村晴美君、バトンタッチ。 NEXT(次へ)

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