海野和子さんからバトンを受け継ぎました、大石勝彦といいます。
私はまだ活動歴が浅いし手話教師の仕事も始めてまだ3年目ですが、思ったことを書かせていただきます。
私が「聾」について初めて自覚したのは約15年前頃だったかな、滋賀で開催したDFC(デフ ファミリー グラフ)集いで木村さんから色々お話をした時に、手話は言語だときっぱりと言われました。その時、私はようやく答えを見つけ出したというような気持ちで喜んだのを覚えています。
そして94年のThe Deaf Dayに特別講演したレクリー氏の「聾の文化」、96年にベン氏の手話ストーリー「ある鷲の子の物語」を拝見して、「聾」は「日本手話」は恥じるものではないとはっきり悟ることができました。このような今までない素晴らしい企画をなされたDプロに感謝しています。
個人の話ですが、4年前、私が結婚する事になり、結婚披露宴の司会を野呂さんにお願いした時に再会しました。その時、野呂さんからDプロのスタッフをしませんかと誘われて、早くも4年目になりました。まだまだ4年目でみんなに学ぶことが多いです。
最近、悲しいことを聞きました。知人の子供が人工内耳をつけたことです。私も聾の娘がいます。娘が聾であることをとても喜んでいますし、人工内耳をつけさせるのはとても考えられないことです。手話を否定する親は以前よりかなり減っているけれど、人工内耳を望む親が増えていて本当に残念なことです。私が学生の頃はまだ人工内耳というものがなく、普通の子供と同じように遊んだりけんかしたりしていました。今の子供たちはどのようにして過ごすのかが気になります。子供はのびのびと育てるのが一番ですね。
現在、聾学校の先生を頑張っておられる榧さんにバトンをお渡ししたいと思います。